ちっこいはなし

たのしいせいかつ

言葉鉱山

言葉ってなんでこんなに楽しいんだろう。いくつかの音の羅列が意味を持った瞬間、こんなにきらびやかに変わるのはなぜだろう。自分が何十日か前に書いた詩の中に、たまにとびきり私の心を揺さぶる表現を見つけるのは一体なぜなのだろう。場違いにも思える言葉が時折ジルコンのように光を返すのはなぜだろう。
すべてを伝えたくないから言葉ができたんだろうけど、在るべき場所に置かれた言葉は何よりも雄弁にすべてを語ってしまう。そんな不器用さも大好きだな。
どんなレトリックを駆使したって、「愛してる」の一言にかなわないことがある。飾りのない言葉の方が誰にでも伝わる。今じゃ恥ずかしくなるような言葉が、他の誰かの宝物になっているかもしれない。
小さい頃は無視してやり過ごせたことを、言葉にしないといてもたってもいられなくなっていた。誰に届けたいなんてあてもないのに。とりあえず今は、いつかの疲れ切った自分が救われたらいいな。
でもいつかは誰かに届けばいいな、と思っちゃうのは私が傲慢すぎるせいか?自分でも数ヶ月経てば訳が分からなくなるようなもので他人が救われたらいいな、なんて。あえて他人に分からないような書き方にしてある詩。なぜって、何もかもさらけ出している詩を見たらこっちまで恥ずかしくなるから。まだそこまで素直になれるほど年を重ねてないからだ。
でも若すぎるからこそ書ける詩だってあるはずだ。痛いけど、青臭いけど透明だもの。
言葉を組み合わせて遊んでいる間なら魔法が使える気がする。とびきり美しいものが見えるようになる気がする。もっと澄んだ色のきれいなものを見たい。開けゴマ。