ちっこいはなし

たのしいせいかつ

脳が誰かを刺す

満ち足りている。満ち足りているのだけれど、誰かが邪魔だったり、嫌いな奴がのうのうと笑ってると「ああ、死んでくれないかな」と思う。そしてふと、我に帰る。どうせいずれは誰しも苦しみながら、冷たい地の奥底へ沈んでゆくのだ。願うまでもない。でもやっぱり、自分より後に死ぬのはやめてほしい。いっそ目の前で血反吐を吐いて、叫んで喚いて泣いてもがいて、突然静かに糸が切れるように動かなくなってほしい。そうして、その抜け殻を踏みにじって蹴飛ばしたい。満ち足りてはいるのだが、そう思ってしまう。
頭の中では誰でも殺せる。同じ人を何度でも。いくら傷付けても本人には何の影響も与えはしない。
詩を書きたくなる。悪意を芸術に昇華できないか。その詩を誰かが思い出す度、詩の中ではまた人が死ぬ。モデルになった人間は、そうとも知らずに暢気に生きてゆく。それでいい。誰も傷付かない。
そもそもこれはただの私のエゴだ。誰かが傷付く理由なんて、必要なんて元から存在しない。なんとなく殺意を持て余して、ごみ箱を探しているだけ。曇り空に、蝉の求婚に、思い通りにならない騒音に、肌を裂く風に、幼いナイフを振り回して駄々をこねる子供だ。
要は誰だっていい、人でなくてもいい。液晶パネルを割ったって、紙の束を切り刻んだって、頭を殴ったって同じ事だろう。呪う事で生きようとする。クソみたいな毎日を走り回って叫ぶ。
子供は満足したらナイフを綺麗に拭いて、棚にしまうだろう。どんな感情も一過性なのだ。全ては吹き過ぎる。今、私の隣を、扇風機のぬるい風が通っていった。