ちっこいはなし

たのしいせいかつ

ボトルシップ

誰かと話がしたくなった。ふと、突然に、だった。好きなこと、嫌いなこと、どうでもいいことについて、語らいたくなった。それで、自分は寂しいのだと分かった。自分の気持ちにも自分で気付けなくなっている。
私が分かることは、音楽が大好きだってことだけなの。音楽がそこにあると、本当に安心するの。だから思わず、年端もいかない可愛らしいこどものように甘えたくなってしまう。泥まみれで笑うみたい。しかめ面さえ気にしなくて良くなるほどの、絶対的な感情に包まれてしまう。音楽さえあれば生きられるだなんて、馬鹿馬鹿しい戯言を、信じたふりをしてしまう自分が恥ずかしいのに。
今でもどこかで、自分が子供であることを自覚したくないのかもしれない。特別な自分などいるはずがないのに。普遍的な少女であることに誇りを持てないようじゃ駄目なのだ。若さは特権だ。勘違いも馬鹿騒ぎも、若さの一言で許されるのだ。間違っていられる内に山ほどの失敗を作って笑っていよう。まだ子供なのだから。
間違いも正解も詰めて海に流せないかな。それを誰かが拾ってくれないか。雰囲気を演出するためには、羊皮紙に羽ペンで書いた方がいいかな。顔も性格も声も言葉も知らない誰かに届くかは分からんが。それでも、紙に書き出して見れば、自分の気持ちも何か一つくらいは理解できるんじゃないかという、小さな企みであるのだ。だから誰かに届いたって意味はない。偶然人が見つけて、いぶかしみながら手に取って、中身を読んでまた投げ捨てる。それでいい。流した時点で私は満たされているからそれでいい。
目に見える人と話せるようになりたい。私は声が小さすぎる。30cm離れた相手には届かないほど。多分蚊が鳴く声の方が大きい。こんな時は隕石の勇気を見習いたい。燃え尽きたって構わない。一瞬の光になったって。
悲しみがつきまとう。だから全ての言葉は喉でつっかえて、空気が震えることはない。産まれなかった言葉は海に流そう。それがきっとささやかな慰めになるから。