ちっこいはなし

たのしいせいかつ

もぐら

怒ってしまうのは期待しているからだ、と誰かが言っていた。その理論でいくと、すぐに怒って勝手に失望する私は、どこかで期待しまくっていることになる。期待しなければ怒ることもなくなるなら、それがいいのにな。
なぜ期待するのですか?どうせ何も与えられないのに。散々嫌いだの、つまらないだのと言っておきながら、未練タラタラなのはこっちの方だったみたいです。許したいなんて甘ったれたことを言い続けてるから、隙につけこまれるんだ。見たくないなんて言って目を手で隠して、そのくせ指の間からこっそり見てるみたいだ。
怒っている間、私の冷静な部分は体から抜け出して自分のことを見ている。その白眼視が本体の自分にも伝わってくる。努めて冷静であろうとしてしまうのはそのせいだ。いつからか、熱狂の中に入り込むことができなくなっていた。喪失感の不感症になっていた。「だからどうした」が合言葉になって、斜に構えて鼻で笑っていたのだ。それほどまでに我を忘れることが怖くて、それに付随する「嘲笑されること」が何より怖い。
何も感じなくなったら楽なのだろうか。本当にそれで幸せなのだろうか。逃げじゃないのか。自分のままで目を背けずに向き合わないといけないんじゃないのか。
荒い息をして逃げ出したい時も、恥ずかしくて消えてしまいたい時も、等しく愛せる時が来ればいいと願う。でもまだその時は来ないから、何も感じないふりをしてダメージを軽減しておこう。