ちっこいはなし

たのしいせいかつ

溶融は自堕落

 何をするにも面倒くさくてほとほと困り果てることさえ面倒だ。それでも文章は面倒くさがらずに書けてしまうので呆れればいいのか?(そもそも独り言が文章形式なのでそれを出力すれば文章はいくらでも書ける)
 やりたかったことまでもが面倒で、やりたくなかったことなんかそれはもう死ぬほど面倒だ。私には学校生活というものはどうにも耐え難い。毎日すごく帰りたい。外出ってのは目的遂行のための手段でしかないから、目的が終わったらワープでもしたい。
 でも電車には乗っていたい。電車に揺られながら車窓の外を眺める。その外にある、私と無関係な人の生活を思う。そのときに夕日なんか射し込もうものならもう、軽率に泣いてしまいたくなる。絶対に泣かないけど。
 泣きたくないと思ってるときが一番楽しい人生だ。その次が文章を書いてるとき。私の好きなことは全部大して役には立たなくて(文章に関しては褒めてくれる人が数人いる、ありがたいことだがそれがお金になる訳じゃないし、内容もとても誇れたものじゃない)、無為な時間を過ごしていることへの焦りは麻薬みたいだ。モラトリアムはもう残り少ない。なのにできるだけ浪費したい。
 笑われ者になりたい。晒し者ではなくて。注目されたいから奇嬌な振る舞いをしてしまう。誰も私のことを知らないところでちやほやされたいのは疲れている証拠だろうか。私は愛されている。本当に、時々うんざりするほど愛されている。でもまだ足りない気がするのはどうして?危ない自意識だ。
 大人になりたくないんじゃなくて、大人になると同時に負う必要がある責任から逃れたいだけだろ。それもきっと私だけじゃないだろ?