ちっこいはなし

たのしいせいかつ

あばら屋

まず始めに、今日の文章は決して明るい話ではないことを断っておこうと思う。湿っぽくて暗い話だ。だが救いはある。


とある訃報が入った。
私はその人のことを知ったばかりだった。具体的に言えば、一ヶ月前にはその人のことを知らなかった。それにその人(まどろっこしいので、以降は仮に「F氏」と呼ぶことにする)についてそこまで多く知らない、今でもそうだ。なのに私はF氏の訃報に触れて、大変なショックを受けた。
私はあの時、生まれて初めて「血の気が引く」を経験した。目にした知らせが脳に達して、瞬時に脊髄を駆け巡り、電光石火で指先に伝わったらしかった。平日のゴールデンタイムに、私は茫然自失でスマートフォンの画面から目を背けた。これ以上は少しもその文字列を認識したくなかったからだ。
死因は以前より患っていた病だったそうだ。いつ弾けるか分からない爆弾を体に埋められていたのだ。予告されていた終わりだった。それならきっと、そこまで悲劇ではないのだろう。頭では分かっている。

いつの間にF氏は私の中で、こんなにウェイトを占めていたのか。彼のことを想うたび、胸が冷える。
知らないうちに私は、心の中に彼の椅子を作っていたのだろう。しかし彼は席を立った。胸の冷えは、座面から彼の体温が失われてゆくことなのだ。今は「彼がいた」という証の空白だけが残っている。もはや欠落だけが彼になってしまった。
これほど衝撃を受けておきながら、私はその晩泣けなかった。それもそのはずだ、私はとてもじゃないが、まだ彼の死を受け入れられなかった。泣けば認めることになると思った。

翌朝、新聞の訃報欄にF氏の名前はなかった。起きて真っ先に新聞を開いた私は、それを見て少し安心した。受け入れ難い事実をまざまざと見せつけられるのを免れたからだ。気休めにしかならないし、根本的に解決することなど永遠にないが、ともかく朝っぱらから泣くことは防ぐことができた。
その日はネットを見るのが億劫だった。いつ、どんなきっかけで彼の訃報を載せたネットニュースに触れてしまうか分からなかったから。なるべく忘れていようと努めても、ぼんやりしているとふと思い出してしまう。
心が形を持ち代謝を行う一器官だとしたら、私のそれは他人より柔らかくて傷みやすいのだろう。知って一ヶ月足らずのよく知らない人の死に、ここまで傷ついてしまうなんて。私はかねてより泣きたくないと思っていた。涙が乾くと肌がかぴかぴして気持ち悪いし、鼻水が出ると息が苦しいから。それでやむなく口呼吸したら喉がかさついて痛い。
でも私は二日目、結局泣いた。
布団に寝転びながら流した涙は、頬を経由して耳の縁に滴った。その感覚が不快だった。F氏の死を受け入れている自分も不快だった。昨日の防御反応と抵抗が無駄になっていたから。そう思うと急に馬鹿馬鹿しく思えた。けれど涙はひとしきり流れた。

そういえば何年か前も同じ感覚に陥りかけた。あれは夢だから良かったけど。あの時もSNSを見るのが恐ろしかった。その時死んだ(という夢を見た)人は長い間好感を持って応援していた人だったから、正夢だったらしばらく立ち直れそうになかった。(当時はあの出来事の印象は「夢と現実の境目がだんだん曖昧になってきている自分への恐れ」の方が強かったのだが。)

まだ彼の死を受け止めきれそうにない。でも人はそうやって生きてきた。私だって気づけば祖父の死を乗り越えていた。うまくスイッチを切り替えて心を麻痺させないと、私は学生をやっていけない。なのに今は「もっと早く彼のことを知りたかった」という後悔でいっぱいだ。

一刻も早く前を向くしかない。この文脈をしみったれた悲劇にしてはいけないからだ。笑え。笑え。笑え。空元気だとしても。心の風穴に冬の乾いた冷風が吹き荒ぶとも。