ちっこいはなし

たのしいせいかつ

透明血漿スプラッタ

時間までが私を爪弾きにして通り過ぎるような錯覚さえ引き起こすほどの退屈が夏には住んでる。そいつは時間を引き延ばすようでゆっくりと圧縮し、砲弾のように発射する。それが私の頬の側を掠める頃には幾度目かの今年の夏の夜が顔を見せている。元気のいい夏の夜は熱気と騒音を撒き散らして、駆け足で去ってってしまう。ひょっとしたら夏そのものが陽炎なんじゃないか。
そんなせっかちな夏でも、早朝だけは確かな透明だ。空気を肺いっぱい取り込んで、私も透明になってしまいたい。その数瞬だけ自分が清いものになる予感がしている。
透明と夏は私の中で紐付けられて結ばれた恋人同士だ。透明は夏の隣にいるのがふさわしい。春ほど柔らかくなくて、秋ほど空しくなくて、冬ほど冷たくない。涼しげで、鋭くて、光を通す透明は、夏を修飾するのにうってつけの言葉だ。それでいてラムネの瓶や風鈴ほど割れやすくはないし、みずみずしく決して乾かない。
一生懸命に手と頭を忙しなく動かしておもちゃ箱をひっくり返し、手持ちのブロックで如何に自分だけの城を作るか考えて唸っている間、私は透明になる。すると、騒々しくてせっかちな時間も少し好きになれる。それは本当に美しいことだと信じる。
そんな透明もいつか綻ぶ。糸がほつれて、足が縺れて、縁石から転げ落ちる。そうしたらたちまち透明は濁って、曇ってしまう。蝉と扇風機の音が、私を現実にプッシュピンで留めてしまうのだ。それで、その瞬間の透明はおしまいになる。一度濁ってから、また透明になるにはかなり長い時間がかかる。
ああ、透明になりたい。